*読んだ本、ただ見かけただけの本、感想、紹介、覚え書きなどいろいろを気が向いた時に。

HPトップへ  





2005年〜2006年

2002年〜2003年
kabocha  ある種おとぎばなしだから、謎は謎のまま。なぜメリキャットは?なぜコンスタンスは?なぜ村人たちは? もちろん正確な叙述がなくても不穏な空気と邪悪な視線と歪んだ情景が、否が応でも読み手の想像力をかきたて、このいびつな物語に引き込んでくれる。恐怖というよりは息苦しさ。ついうっかり見てしまった悪夢のような。それに、この姉妹は本当はいくつなんだろう?「娘」「子供」「いい年の女」「28になるか」「12の時」「6年前」といった描写はあるけども、正確な年齢は出てこない。主観で"少女"でいる事もできるだろう、もしかしたら...と思うのも楽しい。アメリカのどことも知れぬ田舎町、そこに建つ廃屋に二人の女が今も夢にまみれて幸福に住み続けているかもしれないと思うと、それも素敵だ。(07.12.5)

※表紙は合田佐和子。創元推理は今もたまにセンスがいい。
「ずっとお城で暮らしてる」  シャーリィ・ジャクスン / 創元推理文庫 / 2007年


kabocha  ひさびさにキャラクターを楽しみにしているシリーズ。「ルチアーノ素敵!」とか。最初は区別できなかった人物の顔も見分けがつくようになったこのごろです。カメリエーレって何? ...しかしレストランの話なので、物語中のほとんどの男性は当然給仕に従事。つまりいわゆるウェイターさんなのですが、日本では料理人はともかくウェイターやホールスタッフでそれを専門職としている人はどれくらいいるんだろう。どうも男子一生の仕事とは目されていないような気がする。欧米に行くとある程度の規模のレストランでは、ウェイターがプロとして愛され働いているのをよく目にする。それが味以上に店の雰囲気をつくっている。そこではむしろ学生バイトのような若者は姿を消し、ある程度の年齢を経た人物の方が無論たのもしい。この漫画がかっこいいのは、そんな渋いおじさまたちをプロの給仕として登場させ続けているところにあるのかも。ただし舞台はイタリアで。日本ではないのね。日本だと舞台は料亭や飲み屋、主役は仲居さんやマダムになるのかもね。(07.9.18)

「GENTE 1」  オノナツメ / 太田出版 / 2007年


kabocha  学生時代、背伸びというほどでもないけど「なんか勉強になるわあ」と買っていたサライ。今思うと無邪気すぎる気もするけど、その頃のサライを見ると妙に懐かしいのはそのせい。そんな昔のサライの中から、買い損ねて唯一探求誌にしていた92年2月6日号を、今年の下鴨の古書市で発見。探求といってもネットでは探さず、バックナンバーが膨大なのであまり古書店でも探す努力はした事はなかったけれども、やっと会えたね。特集は「シャーロック・ホームズに学ぶ 紳士の条件は、グルメぶらない目立たない」。ホームズはかく飲みかく食べかく装いかく行った...。実に特にどうという事もない内容がなんだか愛おしい。二十歳の私が読んだらやはり「紳士たれ」にうっとりしたんだろうか。ただ「目立たない」というのはホームズの性格にあてはまらないような気がするのですが...(07.9.16)

「サライ '92年 2/6号」  小学館 / 1992年


kabocha  little forest with a cat。猫と二人切りで田舎に暮らす...寂しい?そんなことないよ! 猫の眼がくるくる変わるたびに、周囲の自然がまったく違うものとなって主人公に感じられる様が手に取るようにわかる。なんか切ない。羨ましい。そんな羨望は的外れだとしても羨ましい。だから漫画作品として見事に成り立つんだ。猫をとらえた描線がとにかくうまい。カボチャがとにかく可愛い。愛情をそそぐ対象として不足はなし!自然の中に住んでいなくても、自分の眼の前の猫の野生を発見したくなります。ニャオウ。あれはトンボだよ。(07.8.17)

「カボチャの冒険」  五十嵐大介 / 竹書房 / 2007年


doctor  こんなとき私はどうしてきたか ー 表題通り、精神科医としての著者が診療における数々の難局や病院内で出来する事柄にいかに対処してきたか、の講演の記録。とにかく、医師の立場から綿密かつ微細にその処置法を、(講演といえど)流麗に詳述した貴重な記録。この分野における初心者の読者をもひきつけずにはおかない中井ドクターの臨床の現場に触れられるのはなんてエキサイティングな体験なんだろう。すさまじいのは、患者に接する際の言葉の選び方。精神科医は言葉のプロである、という事実に今更ながら蒙を啓かれる思い。もっとこの人の本を読んでこの人の言葉に触れたくなる。 (07.8.12)

「こんなとき私はどうしてきたか」  中井久夫 / 医学書院 / 2007年


blackjack  ちょっと自堕落なかよちゃん。学校を出て勤めていたのにふとした事でそこも辞めてだらだら。友達に叱られてもだらだら。でもある日、不思議な雑貨屋さんを見つけてそこで働く事に...社会人再デビュー!? フリーターと雑貨。一昔前だったら、この主人公の年齢設定は20代前半のはず。それが本作では見事にover 30。30でこれ!? でもなんか共感できる...できすぎる。ある意味いまの漫画なんだなあ。かよちゃんのファッションもブランド一切関係ない雑貨系入った可愛いめなのが自然。友達みんな「ちゃん」づけで呼ぶのも別にいい。でもしつこいけど一昔前だったら30歳の主人公はもっと別の悩みがあったんじゃないだろうか。思えばハルチンの登場は23歳だったのだ。かよちゃんのビルドゥングスロマンはいかに。 (07.7.27)

「かよちゃんの荷物1」  雁須磨子 / 竹書房 / 2007年


blackjack  近所の古本屋の均一ワゴンに『ブラック・ジャック』が初版ばかりバラで7冊ささっているのを立ち読みしだしたらとまらなくなってつい購入。

 子供の頃、家に全巻揃えて繰り返し繰り返し読んだ。荒野で手術、火山で手術、宇宙人の手術、幽霊の手術、そして自分自身をも手術!その豊富な症例と神業的な治療法も子供心に衝撃だった。人面瘡、水そっくりの病原菌、移植角膜から消えない残像...実際の医学に照らしたらどうなのか、そんなこと知らないし関係なかった。とにかく興奮し畏怖した。猟奇的な題材ばかりでなく、深刻な病や怪我との真剣な苦闘に引き込まれた。尊敬できる師を持つ事の素晴らしさに胸を打たれた。何よりその手術や生体のリアルな描写によって、自分もいつかこんな病気になるかもしれない、いつか大怪我をしてうんと苦しむかもしれない、そしていつかではなく人は必ず死ぬ!という事実に思いを至らす事を確実に学んだと思う。一番心を動かされたのは「ちぢむ!」というタイトルの回。病というものの恐ろしさと神秘にしびれたんだ...。世界で一番面白い漫画だった。20年ぶりの再読で感動あらた。すべては言わずもがな。「5千万持ってきな!」
(07.6.11)

「ブラック・ジャック」  手塚治虫 / 秋田書店(少年チャンピオンコミックス) / 1974年〜


cholon  ある雑貨屋さんのカタログ。なので、ほとんどのページが雑貨や衣服などの商品について割かれているのですが、後ろのページにちょっとしたコラム欄があります。こういう小冊子にはお約束のような雰囲気のコラムページなのですが、その中でひとつ光るのが、あるギタリストの音楽エッセイ連載。といっても現在の音楽活動ではなく、子供の頃、初めて音楽や楽器に接した頃の思い出を語ってくれるものです。これが面白い。そしてさりげなくうまい。特にピアノを習い始めた時のエピソードはそのまま作品社の名随筆シリーズに載せたいくらい。このギタリストであり文章家である人物については残念ながら何も知りませんが、選んだ人は慧眼だったと言えるでしょう。小さな手でおずおずと楽器に触れた遠い昔。(07.5.3)

「cho lon Book #04」  cho lon / 2007年


malamud  年配の知人と話していたとき、私を若人と勘違いしたのか「あなたなんかだとマラマッドって知らないでしょう。僕は彼が好きでねえ」と言われた。「もちろん知ってますよ!持ってますし。でもあるだけで読んだ事はないですけど...」と後半は小さい声で言い返す。それが、家に眠っていた84年版の新潮文庫『マラマッド短編集』を読むきっかけとなったわけで、まもなくこのニューヨーク生まれのユダヤ人作家の魅力に取りつかれる事となる。「天使レヴィン」「最後のモヒカン族」「魔法の樽」...そのなかでひとつ。冒頭の「最初の七年間」にある「そしてふしぎなことに、本を読んでいる彼は若くみえた」という一文にぐっと来る。来ないはずがない。分不相応の恋と読書にしか人生の光がみえない男の話なのだから...。しかし、この新潮文庫は数年前までは普通に「生きていた」のだけど今はやはり品切れなのが惜しい。特に加島祥造の訳が他訳よりも良い。その言葉の選び方、語尾の処理の仕方、空気、どれもうまいと思う。また復刊される事を祈ります。 (07.4.26)

「マラマッド短編集」  新潮文庫 / 加島祥造 訳 / 1971年初版


mimizuku  八王子の郊外に暮す子のない中年夫婦。夫は作家、妻は和服を日常着とする大和撫子。四国は香川出身の二人の生活は、つつましく暖かく仲はあくまで睦まじく。妻の心づくしの手料理は素晴らしい美味で遠来の客も魅了する。食卓に上るのはイリコ、大根の雪花、アラメ、きなこのおむすび、豆腐の兄弟煮、塩アンの餅...などなどその郷土料理のおいしそうな事。テレビは壊れてずっと映らないままだけど、夕暮れには庭にミミズクの夫婦が飛来し、二人の心の慰めとなっている。そんな穏やかな日々...。なのになぜか妻には「隅の老人」もまっさおの安楽椅子探偵としての才能があり、日々持ち込まれる謎を鮮やかに解決するのです!? こんな絵に描いたようなクウネル夫婦に、殺人事件を解決させるという、ある種実に今様かつ斬新な探偵小説を書けるのは、夫婦とおなじ香川出身のこの芦原すなおだけかも? (07.4.11)

「ミミズクとオリーブ」(以下シリーズ続刊中)  芦原すなお / 創元推理文庫 / 2000年


kano  大正期に活躍した加能作次郎。一部の選集および古書でしか読む事ができなかったにもかかわらず、読書家のあいだで静かに愛好されていたものが、このたび初の文庫入り。講談社文芸文庫の面目躍如と言おうか。私も周囲の人々によってこの作家の名前だけは刷り込まれていたので、満を持しての邂逅といったところ。その味わい深さは事前にふくらんだ期待を裏切らず、「いいよいいよ」と言い続けた友人の言葉が耳によみがえる。でも私にとって何より心に沁みるのは、能登に生まれ京都に出て来たという、著者のその経歴から生まれる様々なディテール。例えば敦賀の漁港まで船で出て列車に乗り換えやっと京都へ出る、能登から来たと言うと馬鹿にされると思い「金沢から来た」ととっさに嘘をつく、京言葉(商売用なので更に特殊)がなかなか口をついて出ない...など。私自身、幼い頃から京都と加賀を行ったり来たりしていた身、しかし時代と境遇は異なるのでこれらの情景はあまり自分とは縁がない。なのになんでこんなに反応してしまうのか、それは地理の作用なのかもしれない。そしてもう思い出す事もまったくなかった、加賀のお年寄りが使っていた古い言葉。それを文中に見いだした時の記憶の奔流。「加能作次郎はいいよ」と言っていた京都人たちも、こんな感じはわからないだろな。 (07.2.25)

「世の中へ 乳の匂い」  加能作次郎 / 講談社文芸文庫 / 2007年


misuzu  毎月十数冊が我が家に届く版元PR誌。どれも充実した内容で新刊書購入の手引きにもなるのだけど、結局あまり読まずに終わってしまう。それでも、毎年この季節になると届くこの一冊、みすず書房の「月刊みすず1,2月合併号」は特に思い入れも深く楽しみにしている。作家、文学者、哲学研究者から精神科医まで、この版元ならではの人選による100人以上の識者に、前年に読んだ本のうち印象深いものを5冊挙げてもらう、というシンプルなもの。もちろん「その年に読んだもの」なので、新刊書だけに限らない。この企画がいつから始められたのかは明確に知らず(我が家の書棚にあるのは1986年から)、いつまで続くのかわからないが、ただひたすら本のタイトルが列挙された、あの人この人の私的な読書リストを眺めるのがなぜこんなに興味をそそるのかと言えば、執筆者の個性や未知の本との出会いなども含め、単純なリストの中に読書の原風景が思い描けるから、つまり「本ってこんなに多いんだなあ」という幼い想いがよみがえり、本の海原への展望が少しでも開けるからかもしれない。波打ち際に立ちその大きさにみとれるような。 (07.2.13)

「みすず2007年1.2月合併号」  みすず書房 / 2007年







mail@booksrepublic.com