*ただの読書感想文です。気が向いた時に書いております。

HPトップへ  





2007年

2004年〜2006年

2002年〜2003年
 この人の若々しさと落ち着きが同居したような文体が好きです。作風も好きです。でもこれはちょっと懲り気味かな、どうせならもう少し長い物語でもよかったかな多分。古書店で働く若者に持ちかけられた古い小説の探求計画。依頼主は作家の遺児である娘だった…というミステリー。明らかに今が舞台でありながらネットと携帯電話が出てこなかったのはなぜなのか。古書探しに制限をかけたかったからなのか。成功しているかどうかはともかく、そういう細工も嫌いではないです。嫌味にならないセンチメンタルは貴重。次も期待。

古書探偵といえば、紀田順一郎氏の小説などを思い出しますが、古書を探偵するのか、古書店主でありながら探偵するのかでは異なりますね。後者がいいなあ。犯人を追い詰めた探偵に敵は叫ぶ。「動くな!俺に手を出したらこの本を焼くぞ!」その手には幻と言われた天下の貴書。これを逃すと二度と出会えないおそらく現存するただ一冊。昼間ちょっと立ち寄った新古本屋で信じられない値段で見つけたのだ。それを入れた鞄をヤツに奪われたのは不覚だった…しかし逡巡もつかの間、古書店主兼探偵は敢然と銃を取り出しその本もろとも犯人を…。ふるほんやスナイパー。(09.9.30)

「追想五断章」  米澤穂信/集英社/2009年


 存在は知っているが一生で読むことはあるだろうか、と思っている世界の名作多けれど、ふとした事から読み始めたこの『白鯨』もそのひとつ。大海原の気の遠くなるようなイメージ。これでもかと押し寄せる鯨学。船員たちのキャラクター。狂気のカリスマ・エイハブ船長の暗い熱情とスターバックの葛藤がぶつかり合うシーン。いつまでも忘れがたいそれぞれの場面は、紛れもなく読書のご褒美だ。そして、いつ終わるともわからない航海の果てに、目指す白鯨=モービィ・ディックが「たてがみのように」波しぶきを蹴立てて現れる運命の場面では、雄叫びを上げる男たちの声が自分の部屋にもこだまする。彼らの長い航海と同じだけ、読者もその登場を待たされ「読み続ける」という長い旅をする。白鯨なんか本当はいないんじゃないか、もう出てこないんじゃないかと思いたくなる頃、結末は知っていてもそう考えてしまうほど長い時間が経った頃、遂に登場した海獣の不条理なまでの圧倒的強さ。大いなるものの存在。生と死の近さ。この最後の50ページのためだけに遠い旅を船乗りたちも読者もしてきたんだ、とあらためて感じる。死を覚悟した男たちの「過去もない、未来もない、ただこの瞬間あるのみ」という心に打たれ、「我が旅は終わりに近づいているのでしょうか」と神に問うスターバックの独白に涙する。

ああ、こんな風に大きな物語がもっと読みたいなあ!(08.9.30)

「白鯨」  ハーマン・メルヴィル 八木敏雄 訳 / 岩波文庫 / 2004年


 対談集なので、読みやすく感情移入しやすく、それゆえ自分と異なる意見への拒否もたやすくしたくなってしまう。そういう意味で発言者の言動に一番違和感を感じ、だからこそ面白かったのは、唯一の鼎談の回かも。同意や親和が続くと、なまじ読みやすいから、自分自身の内部の問題意識に触れずに終わってしまう事もある。対話、対談って難しい。「正社員なんかにならなくても共同体や仲間と一緒に何かできるはず」という発言には、様々な価値観があるのはわかりながらもどうしても与する事ができず、正社員になるより仲間づくりの方が苦手な人もいるんだよ知ってる?などとページに毒づきつつ、故に一番しみじみしたのは、いじめの項。協調性ない、空気読めない、運動できない、愚鈍なくせに自意識過剰、ぼんやりしてるくせに口だけは達者...という子供だった私は、現代ならいじめの標的に軽くなっていたと思われる。罹災しなかったのは単にそういう時代だったから、だと思っている。だからその箇所を読んで悲しくなった。この気持ちもある意味当事者と言えなくはないけど...(08.3.16)

「全身当事者主義」  雨宮処凜 対談集 / 春秋社 / 2008年


kabocha  この長い小説からひとつ印象を挙げてみれば、アンナの人生は、ヴロンスキーという名の悪魔に魅入られた事で狂わされたんだなあ、と言うことでしょうか。若く美しく情熱的な男の姿をした悪魔。退屈している上流夫人にねらいをつけて、魂を手に入れるべく、あの手この手で誘惑する。籠絡に一度成功すれば、後は猜疑心や嫉妬心をおこさせ、破滅の道をゆっくりと歩ませる。最後の瞬間が来たとき、思ったより早くカタがついたなとほくそ笑み、女の魂を手にして身を翻し魔界へと帰るのです...。いずれにせよ、嘘でも幸せに暮らしていたはずの人妻を誘惑して人生に気づかせる男なんぞはみんな悪魔なのだ。でも「神さま、あたしのすべてをお許しください!」と叫ぶアンナの最期は痛ましく美しい。死へ至る直前、馬車の中から町の看板を機械的にひたすら読むアンナの意識の流れも胸を突く。そして彼女の命が終わるとき「アンナに不安と、欺瞞と、悲哀と、邪悪に満ちた書物を読ませていた一本のろうそくの光が」消えた、という言葉にはただ泣けた。人生は一冊の書物、命はそのページを照らすろうそくなのだ。細やかな情景描写と巧みな比喩。こんな小説を読めるのは幸せだ。我が人生という名の書物の中で出会えた一冊の本の力。(08.3.4)

「アンナ・カレーニナ」  レフ・トルストイ、木村浩 訳 / 新潮文庫 / 1972年新潮文庫初版


kabocha  とにかく「キキララ」が好きだった。好きで好きで、キキララの事を思うと胸が苦しい。あれが欲しいこれも欲しいで毎日物欲との闘い。小学2年の時、近所にある「フレンド」という文具屋(同級生のおうちでもあった)で、キキララのアドレス帳が欲しくて、顔色を見ながら母にねだった。「あれがあるととても便利なんだけど...」とかなんとか。普通、小学低学年にアドレス帳は要りません。でも買ってもらえた。280円だった。それはもう無くしたけど、5年生の時に「さのや」で買ってもらった、キキララの裁縫箱セットは20年以上経った今も使っている。1100円だったと思う。マチ針の頭が星型なのだ。思えば★のモチーフが好きなのは、キキララ好きの名残なのかも。「フレンド」も「さのや」ももうない。ただそれだけを、この本を見て思い出した。でもキキララの正式名称が「リトルツインスターズ」だったなんて知らなかったなあ...。(08.2.25)

「サンリオデイズ」  竹村真奈 編集 / ビー・エヌ・エヌ / 2008年


kabocha  乙女みやげ。女の子なら誰でも通過してきたような、そしてごく一部の人が大人になった今もまだどうしても反応してしまわざるを得ないような品々。「ごく一部」と言ったけど、そう、やはり大多数の女性は成長するにつれて、やがてこういうモノモノに興味を持たなくなっていくんだろうな。全国から集めた土産物というコンセプトよりも、作者の眼鏡にかなった「モノ」の持つそれ自体の奇妙で愛らしい存在感に感じ入ってしまう。乙女的玩物百科。物を持たない生活、よい物を長く使う生活、そういうのもいいけれど、何でもないくだらない(かもしれない)モノでも「可愛い」の合い言葉でもって買い集め、部屋をガラクタでいっぱいにする。それぞ乙女の心意気かや。私の針もそっちにふれてしまうのです。(08.1.28)

※巻末の対談ページ、みうらじゅんの「乙女?昔は<不思議系>って呼ばれてた人たちでしょ」の文句が最高!
「乙女みやげ」  甲斐みのり / 小学館 / 2007年







mail@booksrepublic.com